スイス🇨🇭は今日か建国記念日
そして私が命が与えられた日でもあります。
今日の8月1日に私は神戸市垂水区の
立花産婦人科で、出口家の次女として命を受けました。
姉、兄の三人兄弟の末っ子でした。
親は当時、垂水商店街の外れた場所で布団屋を経営していました。
母親は、肝っ玉母さんで本当に素晴らしい人でした。
感情で怒られた経験はありませんでしたから、私は母親が大好き❤でした。
私の幼い子供の頃の友人は、必ず何か商店街で店をやっていました。
〇〇屋の〇〇ちやん的なイメージでした。
昭和の成長期にあたります。
父は、お坊っちやん育ちでしたが気の小さな小心者で、母親を深く愛していましたが、母親を亡くしてからは酒に走り、寂しさを埋めていました。
私は、小学校6年の時に母親を癌で亡くしてからは人生が一変しました。悲しくて仕方有りませんでした。
母親が亡くなる前に、
「私を宜しく頼みます。」とお願いした塾の先生がクリスチャンでした。
塾の先生に誘われて初めて行った日曜日学校、そこが私の唯一の場所になりました。
清野聖子先生は、足が悪く、歩くのもやっとでしたが、長い坂道を登って教会に連れて行って下さいました。
聖子先生は私を愛して下さいました。
今で言う、子供食堂みたいな場所でした。私の心の癒しの場所でした。
父親は、母親を亡くした寂しさから酒に走り、毎日死にたい、死にたいと言いながら酒を飲み続けました。
そして、ついに父親は脳血栓になり車椅子生活になり、私達子供は両親がいない状態に追い込まれていきます。
学生だけの私達3人兄弟は、生活保護を受けながら、学校を何とか卒業し、社会人になれたのです。
苦しみを味わっただけ、強くなれました。
普通では考えられない過酷な生活でした。物は買えない、お金は無い、親いない生活でした。
家だけは大きな家だった事が守られました。
何も悪いことしていないに、何でこんな事が起きるのだろう、、、と悩み続けていました。
明日、食べていけるのがやっとの生活でした。
姉が先に結婚し、兄と車椅子の父親の世話が始まりました。学校から戻ると直ぐに晩御飯の支度をしなければなりません、
生きていく為に、アルバイトは掛け持ちをしました。
高校に行く定期代を稼ぎ、お昼ご飯代金も稼ぎ出しました。
とにかく、生きていく為に働き続けました。
やっと、ダンロップに入社し、伊達さんと出会い、家から逃げるように結婚。
結婚の動機が悪かったせいで、14年間の結婚生活にピリオドを打ち、今が有ります。
私は、本当に苦労しましたが、人生の中で今が一番幸せです、
人生の前半は悪かったけれど、人生はやり直しが出来るのです。
私は、日曜日学校が無かったら、今の私は無かったと思います。
教会が唯一の居場所でした。
教会の日曜日学校の先生が私を愛して下さり、受け止めて下さったからでした。
そんな日を思い出す、誕生日になりました。
最悪だった人生から神様に出会い、大きく変わりました。
神様は今も生きていて祈りがあるからこそ、私は生かされています。
どんな試練にも強くなりました。
私は、子供2人を深く愛しています。
子供達にも神様を信じて人生を歩んで欲しいと願っています。
生きていたら、いい事あるから、みんな頑張ろうね!
今日は誕生日だから遊びます!