祈りの歩行
日本の為に祈って歩きませんか?
沈みゆく日本経済の中で、私たちには今打ち破りの祈りが必要です。
エリコの城門を主が打ち破られたように、私たちは月に1度、国会議事堂の周りを祈りながら歩いています。
参加費等は必要ありません。
共に日本の為に祈り、実際に行動してくれる仲間が必要です。
私たちと一緒に日本の為に祈り、歩きませんか?
詳しくは下記をご覧下さい。
詳細
■参加費:無料
■日時:第二金曜日 AM10:00~11:00
■集合場所:永田町
(〒100-0014 東京都千代田区永田町2-17-10 サンハイム永田町302
株式会社ブライダルプロデュース・ピープル)
なぜやるのか
※世界終末時計(せかいしゅうまつどけい、英語: Doomsday clock)とは、核戦争などによる人類(世界[1]や地球[2]と表現されることもある)の絶滅(終末)を午前0時になぞらえ、その終末までの残り時間を「零時まであと何分」という形で象徴的に示す時計である。実際の動く時計ではなく、一般的に時計の45分から正時までの部分を切り出した絵で表される。「運命の日」の時計あるいは単に終末時計[3]ともいう。『Wikipedia』
今や中国・シンガポールにも経済力を奪われ、アジア経済の中で日本の存在感は薄れています。
また、北朝鮮問題による国際情勢の緊張感が高まり第三次世界大戦の危機に晒されています。
アメリカとソ連による冷戦時代より設置され、世界の終末へのカウントダウンを行っている※世界終末時計が残り2分30秒に更新されこれまでにない程緊張感が高まっています。
だからこそ、今日本の中心地で最も高い所から日本・世界の為に祈る必要があります。
聖書にも書かれているように最も高い所から国のトップの為に祈る必要があります。
人間の勝手な思いによる政治の結果が今の緊張を生み出し、世界が危機に瀕しています。
私たちのリーダーには人間の思いでなく、神の知恵が必要です。私ちが国会議事堂の周りを祈り歩くことで、彼らに良い知恵が与えられ日本が守られるよう霊的なプロテクションを貼る必要があります。
映画「祈りのちから」でも語られているように私たちは
”戦う相手を知らなければなりません。”
私たちの祈り歩く一歩一歩が悪を打ち砕き、日本に打ち破りの力を与えます。
日本の一番高い所からトップダウンで祈る必要があります。
だから、私たちは日本の為に祈り歩くのです。
祈りの歩行について
[embedyt] https://www.youtube.com/watch?v=8HCI60TTui0[/embedyt]エリコの城門と七人の祭司の行進
※日本バプテスト連盟 豊里キリスト教会メッセージより転載。
「エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を固く閉ざしたので、誰も出入りすることはできなかった。」とあります。このエリコの町の城門と高くそびえる城壁は、実は、この町の人々の心の状態を示しています。絶対に、イスラエルの攻撃に屈しまい、扉を開けることはすまいという町の人々のかたくなな固い決意を象徴しております。高くそびえた城壁、固く閉ざした門、いかにエリコの人々が神に対して心を固く閉ざして、神の民を一歩も受け入れまいとしていたかが解ります。
しかし、ヨシュアは、エリコ攻撃に先立って、エリコの町にスパイを送り込んで、町の人々の様子を探らせておりました。そして人々はイスラエルの総攻撃に戦々恐々しているという情報が入りました。内側の心が震えているからこそ、表面的にはかたくなになっていたのです。そしてこの二人のスパイは自分たちをかくまってくれた、遊女ラハブとその家族を助けると約束しました。総攻撃に時には、家の窓に真っ赤な紐を結びつけているならば、イスラエルの兵士が、彼女とその家族を守ってくれるというのです。この町で救われたのはこの遊女ラハブの家族だけでした。
3.契約の箱と七人の祭司の行進
モーセは民にこう言いました。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト14:14)また、主はヨシュアにこう言いました。「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。」
神の契約の箱というのは、その箱をありがたがって大事に扱うということではなく、また箱があれば戦争に勝つというようなものではありません。契約の箱を先頭にするということは、中に入っている神の御言葉に従う生活を第一にするということです。それが私たちの戦いなのです。ヨルダンを渡る時、まず神の御言葉を先行させたように、今回のエリコの戦いでも、まず、神の御言葉に従う聖なる生き方をすることが求められています。そしてこの戦いは神様の戦いですから、人間の武器や力や軍隊の大きさによるものではありません。神様を前面に押し出し、神に仕える祭司が主役です。そして兵士の武器の代わりに、祭司の吹く角笛と民のときの声が戦いの武器でした。
2節以降を読んでみましょう。「その時、主はヨシュアに言われた。『見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、時の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。』」
(6:2~7)
一体この儀式のような戦い方は何を意味するのでしょうか。イスラエルの兵も、全然攻撃しないで、毎日毎日、角笛を吹いて祭司たちが回っているのですから、果たしてこの戦いに勝利できるだろうかと疑問に思ったかもしれません。一体神様は何を考えているのだろうと不思議に思ったに違いありません。でも大事なことは、神様が命じたとおりに行うということです。たとえ自分が腑に落ちなくても、主がこうしなさいと言ったらそれを忠実に実行することです。たとえ戦いの成果が見えなくても、かたくななまでに黙々と町を回ることです。
今日も私たちは、教会案内会を持って出かけて行きます。神様は私たちに「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい。」と命じられました(Ⅱテモテ4:2)。蒔く人がたくさんいるから、きれいなパンフレットができたから蒔くのではなく、時が良くても悪くても、どんな状況の中でも御言葉の種を蒔き続けることです。毎月、こんなことをして一体どうなるのかと疑問が起こるような時があるかもしれません。でも、やがて主の勝利の時、エリコの町の城壁が崩れ落ちる時が来ますから、それまでまき続けるのです。
この成田、富里の町の人々の心の城門は固く、固い城壁のように高くそびえ、神がその心の中に入って行くのを拒んでいるみたいです。確かに、関東随一の大きな寺院があり、人々は福音に対して固く心を閉ざしているかもしれません。それでも、主が町を回りなさいと命じられたら、そのようにしたいものです。町を七回まわるということは、神様の救いの時が満ちるまでという意味があります。その時が満ちるまで、信じて忍耐して続けるのです。必ずその時が来ます。そうしたら一挙に攻め込んで魂を獲得するのです。私たちの戦いではなく、主の戦いなのです。
4.城壁は崩れた
契約の箱を先頭にして、角笛の祭司、そして護衛の兵士が六日間、一回づつ町を回りました。そして七日目には、七回まわって、ヨシュアの合図に従って、角笛が一斉に鳴り響きました。それから民が一斉に鬨の声をあげました。そうしましたら、あの固く高くそびえたエリコの町の城壁が突然、轟音と共に崩れてしまったのです。不思議なこと、奇跡が起こりました。そして、その崩れたところから一斉に突入して、あっという間に町は占領されてしまいました。
16節から読んでみましょう。「七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。『鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にある者は、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからである。あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物蔵に納めよ。』角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。」
(6:16~21)
あの堅固なエリコの町を占領したのは、軍隊の力でも巧みな戦術でも強力な武器でもありません。神の大いなる力と奇跡を引き起こしたのは、神御自身です。民は神の御言葉を先頭に行進し、最後に一斉に鬨の声をあげました。わたしはこれは、私たちの祈りと賛美の声ではないかと思うのです。私たちが神に向かって声をあげる時、神が働いてくださいます。その力強い御手を持って戦って下さいます。
新約聖書で同じようなことが起こった事件が一つあります。それは、パウロとシラスが捕えられた時に、彼らは足枷をかけられて暗い奥の牢屋に入れられました。何もできませんでした。しかし、二人が牢屋でできた唯一のことは、神に賛美の歌を捧げることと祈ることでした(使徒言行録16:25)。そして二人が祈り、賛美をし始めると、突然地震が起こり、牢の土台が揺れ動いて崩れ、二人は解放されました。もちろん二人は逃げませんでした。この二人の祈りと賛美、そして堂々とした正しい行いを見て、牢屋番とその家族が救われたのは有名な話です。祈りと賛美の声、これが地震を引き起こして牢の土台を崩したように、エリコのあの城壁を崩したのも人々の鬨の声なのです。ですから皆さん、まず祈りましょう。賛美しましょう。
しかし、イスラエルの民にとって約束の地を奪い取るということは宗教行為であり、神の働きの一つなのです。これを聖戦思想といいますが、イスラム教でも、聖戦(=ジハード)として戦うという考え方が残っています。そして、戦利品は神への捧げものとして、神に返さなければならなかったのです。ですから、戦利品を自分の所有物とせずに、神に捧げるという意味でいけにえとしてすべて殺してしまわなければなりませんでした。これを「聖絶」といいます。
人を生かしておいて、彼らの習慣や偶像礼拝に倣ってしまわないように、この世に属する者をすべて滅ぼし去るという考え方です。私たちも、神に救われた者、水の中をくぐってバプテスマを受けた者は、決してもう一度、以前の肉の生活や偶像礼拝に戻ることのないようにという意味で、汚れたものをすべてを滅ぼし尽くしてしまわなければなりません。
自分の心の内から、神に喜ばれないもの、罪や悪い思い、ねたみ、偶像、悪習慣すべてを徹底的に取り除きたいものです。まことの神以外の偶像を、一つも残すことなく滅ぼし尽くせというのが、神の御言葉に従うことでした。そしてヨシュアとイスラエルの民は、そのことを実行したのです。それが「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」(6:17)ということの意味です。
この神の命令を守ること、これが契約の箱を先頭にして進んでゆくということです。常に御言葉に従う生き方です。そうである限り彼らは、これからの戦いにも勝利してゆくことができるのです。そして絶えず祈り、喜んで賛美を捧げつつ歩んでゆくこと、これが約束の地での神の民の歩みでした。彼らの霊的な戦いでした。私たちは、賛美と祈りを持ってエリコの町を、今月も回ろうとしています。まだ、エリコの城壁は高くそびえたっています。ちょっとやそっとでは崩れそうもありません。でもやがて、七日目の時が来て、賛美と祈りの声によって崩れ落ちる時が来ます。そのことを信じて、今日も賛美と祈りを持って出かけて行きましょう。
(岡田 久)
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記者:Yuki
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※世界終末時計(せかいしゅうまつどけい、英語: Doomsday clock)とは、核戦争などによる人類(世界[1]や地球[2]と表現されることもある)の絶滅(終末)を午前0時になぞらえ、その終末までの残り時間を「零時まであと何分」という形で象徴的に示す時計である。実際の動く時計ではなく、一般的に時計の45分から正時までの部分を切り出した絵で表される。「運命の日」の時計あるいは単に終末時計[3]ともいう。『Wikipedia』
今や中国・シンガポールにも経済力を奪われ、アジア経済の中で日本の存在感は薄れています。
また、北朝鮮問題による国際情勢の緊張感が高まり第三次世界大戦の危機に晒されています。
アメリカとソ連による冷戦時代より設置され、世界の終末へのカウントダウンを行っている※世界終末時計が残り2分30秒に更新されこれまでにない程緊張感が高まっています。
だからこそ、今日本の中心地で最も高い所から日本・世界の為に祈る必要があります。
聖書にも書かれているように最も高い所から国のトップの為に祈る必要があります。
人間の勝手な思いによる政治の結果が今の緊張を生み出し、世界が危機に瀕しています。
私たちのリーダーには人間の思いでなく、神の知恵が必要です。私ちが国会議事堂の周りを祈り歩くことで、彼らに良い知恵が与えられ日本が守られるよう霊的なプロテクションを貼る必要があります。
映画「祈りのちから」でも語られているように私たちは
”戦う相手を知らなければなりません。”
私たちの祈り歩く一歩一歩が悪を打ち砕き、日本に打ち破りの力を与えます。
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だから、私たちは日本の為に祈り歩くのです。
祈りの歩行について
[embedyt] https://www.youtube.com/watch?v=8HCI60TTui0[/embedyt]エリコの城門と七人の祭司の行進
※日本バプテスト連盟 豊里キリスト教会メッセージより転載。
「エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を固く閉ざしたので、誰も出入りすることはできなかった。」とあります。このエリコの町の城門と高くそびえる城壁は、実は、この町の人々の心の状態を示しています。絶対に、イスラエルの攻撃に屈しまい、扉を開けることはすまいという町の人々のかたくなな固い決意を象徴しております。高くそびえた城壁、固く閉ざした門、いかにエリコの人々が神に対して心を固く閉ざして、神の民を一歩も受け入れまいとしていたかが解ります。
しかし、ヨシュアは、エリコ攻撃に先立って、エリコの町にスパイを送り込んで、町の人々の様子を探らせておりました。そして人々はイスラエルの総攻撃に戦々恐々しているという情報が入りました。内側の心が震えているからこそ、表面的にはかたくなになっていたのです。そしてこの二人のスパイは自分たちをかくまってくれた、遊女ラハブとその家族を助けると約束しました。総攻撃に時には、家の窓に真っ赤な紐を結びつけているならば、イスラエルの兵士が、彼女とその家族を守ってくれるというのです。この町で救われたのはこの遊女ラハブの家族だけでした。
3.契約の箱と七人の祭司の行進
モーセは民にこう言いました。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト14:14)また、主はヨシュアにこう言いました。「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。」
神の契約の箱というのは、その箱をありがたがって大事に扱うということではなく、また箱があれば戦争に勝つというようなものではありません。契約の箱を先頭にするということは、中に入っている神の御言葉に従う生活を第一にするということです。それが私たちの戦いなのです。ヨルダンを渡る時、まず神の御言葉を先行させたように、今回のエリコの戦いでも、まず、神の御言葉に従う聖なる生き方をすることが求められています。そしてこの戦いは神様の戦いですから、人間の武器や力や軍隊の大きさによるものではありません。神様を前面に押し出し、神に仕える祭司が主役です。そして兵士の武器の代わりに、祭司の吹く角笛と民のときの声が戦いの武器でした。
2節以降を読んでみましょう。「その時、主はヨシュアに言われた。『見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、時の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。』」
(6:2~7)
一体この儀式のような戦い方は何を意味するのでしょうか。イスラエルの兵も、全然攻撃しないで、毎日毎日、角笛を吹いて祭司たちが回っているのですから、果たしてこの戦いに勝利できるだろうかと疑問に思ったかもしれません。一体神様は何を考えているのだろうと不思議に思ったに違いありません。でも大事なことは、神様が命じたとおりに行うということです。たとえ自分が腑に落ちなくても、主がこうしなさいと言ったらそれを忠実に実行することです。たとえ戦いの成果が見えなくても、かたくななまでに黙々と町を回ることです。
今日も私たちは、教会案内会を持って出かけて行きます。神様は私たちに「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい。」と命じられました(Ⅱテモテ4:2)。蒔く人がたくさんいるから、きれいなパンフレットができたから蒔くのではなく、時が良くても悪くても、どんな状況の中でも御言葉の種を蒔き続けることです。毎月、こんなことをして一体どうなるのかと疑問が起こるような時があるかもしれません。でも、やがて主の勝利の時、エリコの町の城壁が崩れ落ちる時が来ますから、それまでまき続けるのです。
この成田、富里の町の人々の心の城門は固く、固い城壁のように高くそびえ、神がその心の中に入って行くのを拒んでいるみたいです。確かに、関東随一の大きな寺院があり、人々は福音に対して固く心を閉ざしているかもしれません。それでも、主が町を回りなさいと命じられたら、そのようにしたいものです。町を七回まわるということは、神様の救いの時が満ちるまでという意味があります。その時が満ちるまで、信じて忍耐して続けるのです。必ずその時が来ます。そうしたら一挙に攻め込んで魂を獲得するのです。私たちの戦いではなく、主の戦いなのです。
4.城壁は崩れた
契約の箱を先頭にして、角笛の祭司、そして護衛の兵士が六日間、一回づつ町を回りました。そして七日目には、七回まわって、ヨシュアの合図に従って、角笛が一斉に鳴り響きました。それから民が一斉に鬨の声をあげました。そうしましたら、あの固く高くそびえたエリコの町の城壁が突然、轟音と共に崩れてしまったのです。不思議なこと、奇跡が起こりました。そして、その崩れたところから一斉に突入して、あっという間に町は占領されてしまいました。
16節から読んでみましょう。「七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。『鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にある者は、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからである。あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物蔵に納めよ。』角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。」
(6:16~21)
あの堅固なエリコの町を占領したのは、軍隊の力でも巧みな戦術でも強力な武器でもありません。神の大いなる力と奇跡を引き起こしたのは、神御自身です。民は神の御言葉を先頭に行進し、最後に一斉に鬨の声をあげました。わたしはこれは、私たちの祈りと賛美の声ではないかと思うのです。私たちが神に向かって声をあげる時、神が働いてくださいます。その力強い御手を持って戦って下さいます。
新約聖書で同じようなことが起こった事件が一つあります。それは、パウロとシラスが捕えられた時に、彼らは足枷をかけられて暗い奥の牢屋に入れられました。何もできませんでした。しかし、二人が牢屋でできた唯一のことは、神に賛美の歌を捧げることと祈ることでした(使徒言行録16:25)。そして二人が祈り、賛美をし始めると、突然地震が起こり、牢の土台が揺れ動いて崩れ、二人は解放されました。もちろん二人は逃げませんでした。この二人の祈りと賛美、そして堂々とした正しい行いを見て、牢屋番とその家族が救われたのは有名な話です。祈りと賛美の声、これが地震を引き起こして牢の土台を崩したように、エリコのあの城壁を崩したのも人々の鬨の声なのです。ですから皆さん、まず祈りましょう。賛美しましょう。
しかし、イスラエルの民にとって約束の地を奪い取るということは宗教行為であり、神の働きの一つなのです。これを聖戦思想といいますが、イスラム教でも、聖戦(=ジハード)として戦うという考え方が残っています。そして、戦利品は神への捧げものとして、神に返さなければならなかったのです。ですから、戦利品を自分の所有物とせずに、神に捧げるという意味でいけにえとしてすべて殺してしまわなければなりませんでした。これを「聖絶」といいます。
人を生かしておいて、彼らの習慣や偶像礼拝に倣ってしまわないように、この世に属する者をすべて滅ぼし去るという考え方です。私たちも、神に救われた者、水の中をくぐってバプテスマを受けた者は、決してもう一度、以前の肉の生活や偶像礼拝に戻ることのないようにという意味で、汚れたものをすべてを滅ぼし尽くしてしまわなければなりません。
自分の心の内から、神に喜ばれないもの、罪や悪い思い、ねたみ、偶像、悪習慣すべてを徹底的に取り除きたいものです。まことの神以外の偶像を、一つも残すことなく滅ぼし尽くせというのが、神の御言葉に従うことでした。そしてヨシュアとイスラエルの民は、そのことを実行したのです。それが「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」(6:17)ということの意味です。
この神の命令を守ること、これが契約の箱を先頭にして進んでゆくということです。常に御言葉に従う生き方です。そうである限り彼らは、これからの戦いにも勝利してゆくことができるのです。そして絶えず祈り、喜んで賛美を捧げつつ歩んでゆくこと、これが約束の地での神の民の歩みでした。彼らの霊的な戦いでした。私たちは、賛美と祈りを持ってエリコの町を、今月も回ろうとしています。まだ、エリコの城壁は高くそびえたっています。ちょっとやそっとでは崩れそうもありません。でもやがて、七日目の時が来て、賛美と祈りの声によって崩れ落ちる時が来ます。そのことを信じて、今日も賛美と祈りを持って出かけて行きましょう。
(岡田 久)
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■参加費:無料
■日時:第二金曜日 AM10:00~11:00
■集合場所:永田町
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記者:Yuki
投稿日:2018年4月3日
コラム担当:Yuki
皆さん、こんにちは。
いつもブログを拝見頂きありがとうございます。
本日は、私たちが通ってる教会、神戸バイブルフェローシップのお知らせです。
KBFフレンズ東京
神戸バイブルフェローシップでは担任牧師であるロバートフラハティが日本全国に赴いて、
日本全国に神様の愛を伝える事を目的としたTouch JAPANという活動をしています。
その一環として、2ヶ月に1度、東京で” フレンズ東京”を開催しています。
フレンズ東京はKBFインターネットラジオでロブのメッセージを聞いて居た人達が
東京でも生のメッセージを聞けるようにロブを東京に招いた事が始まりました。
この記念すべき第1回目は銀座で行われ、本活動も今年で5年目を迎えます。
今では毎回多くの方が参加され、クリスチャン以外の方でもロブのメッセージを聞きに来られます。
このように現在では2か月に1度、フレンズ東京と題してお茶の水クリスチャンセンターでサービスを捧げています。
KBFとは
神戸バイブルフェローシップは、カジュアルな服装でどなたでも参加できるプロテスタントの教会です。みんなで現代的な賛美歌を歌い、わかりやすい日本語と簡単な英語で、聖書からイエス・キリストについて学びます。様々な国から沢山の方が毎週お越しになります。クリスチャンではない方もお気軽に。礼拝中の出入りも自由です。日曜礼拝だけでなく、フラの練習や聖書の学びの時間もありますので、そちらにもお気軽にご参加ください。私たちは、こられた方にお名前やお住いをしつこくお伺いすることや、礼拝中に皆さんの前での新規来会者紹介等は一切ございませんので安心してお越し下さい。(KBFホームページより抜粋)
フレンズ東京 開催日:偶数月の第3金曜日
場所:クリスチャンお茶の水センター
時間:19時〜21時
参加費:無料
皆さんのご参加をお待ちしています☆
礼拝後は近くのレストランで食事をし、交わりを深めています。
是非、お気軽にご参加ください♩
ロブを励まそう!
Touch JAPANの活動を行う中で、最も大変なのが霊的な戦いです。
ロブに皆さんの励ましと祈りが必要です!今は本当に辛い戦いを強いられています。
ロブの癌が再び癒され、神の栄光が現れ勝利するように皆で祈りましょう!
だから、
是非!フレンズ東京に参加して”ロブの癌が癒されるよう”直接一緒に祈ってください。
お願いします。
癒しの霊の賜物がある人がいたら、その人を連れて来てください。
Touch JAPAN
“Touch Japan”Facebookページはこちら。
記者:Yuki
祈りの歩行
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※世界終末時計(せかいしゅうまつどけい、英語: Doomsday clock)とは、核戦争などによる人類(世界[1]や地球[2]と表現されることもある)の絶滅(終末)を午前0時になぞらえ、その終末までの残り時間を「零時まであと何分」という形で象徴的に示す時計である。実際の動く時計ではなく、一般的に時計の45分から正時までの部分を切り出した絵で表される。「運命の日」の時計あるいは単に終末時計[3]ともいう。『Wikipedia』
今や中国・シンガポールにも経済力を奪われ、アジア経済の中で日本の存在感は薄れています。
また、北朝鮮問題による国際情勢の緊張感が高まり第三次世界大戦の危機に晒されています。
アメリカとソ連による冷戦時代より設置され、世界の終末へのカウントダウンを行っている※世界終末時計が残り2分30秒に更新されこれまでにない程緊張感が高まっています。
だからこそ、今日本の中心地で最も高い所から日本・世界の為に祈る必要があります。
聖書にも書かれているように最も高い所から国のトップの為に祈る必要があります。
人間の勝手な思いによる政治の結果が今の緊張を生み出し、世界が危機に瀕しています。
私たちのリーダーには人間の思いでなく、神の知恵が必要です。私ちが国会議事堂の周りを祈り歩くことで、彼らに良い知恵が与えられ日本が守られるよう霊的なプロテクションを貼る必要があります。
映画「祈りのちから」でも語られているように私たちは
”戦う相手を知らなければなりません。”
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日本の一番高い所からトップダウンで祈る必要があります。
だから、私たちは日本の為に祈り歩くのです。
祈りの歩行について
[embedyt] https://www.youtube.com/watch?v=8HCI60TTui0[/embedyt]エリコの城門と七人の祭司の行進
※日本バプテスト連盟 豊里キリスト教会メッセージより転載。
「エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を固く閉ざしたので、誰も出入りすることはできなかった。」とあります。このエリコの町の城門と高くそびえる城壁は、実は、この町の人々の心の状態を示しています。絶対に、イスラエルの攻撃に屈しまい、扉を開けることはすまいという町の人々のかたくなな固い決意を象徴しております。高くそびえた城壁、固く閉ざした門、いかにエリコの人々が神に対して心を固く閉ざして、神の民を一歩も受け入れまいとしていたかが解ります。
しかし、ヨシュアは、エリコ攻撃に先立って、エリコの町にスパイを送り込んで、町の人々の様子を探らせておりました。そして人々はイスラエルの総攻撃に戦々恐々しているという情報が入りました。内側の心が震えているからこそ、表面的にはかたくなになっていたのです。そしてこの二人のスパイは自分たちをかくまってくれた、遊女ラハブとその家族を助けると約束しました。総攻撃に時には、家の窓に真っ赤な紐を結びつけているならば、イスラエルの兵士が、彼女とその家族を守ってくれるというのです。この町で救われたのはこの遊女ラハブの家族だけでした。
3.契約の箱と七人の祭司の行進
モーセは民にこう言いました。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト14:14)また、主はヨシュアにこう言いました。「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。」
神の契約の箱というのは、その箱をありがたがって大事に扱うということではなく、また箱があれば戦争に勝つというようなものではありません。契約の箱を先頭にするということは、中に入っている神の御言葉に従う生活を第一にするということです。それが私たちの戦いなのです。ヨルダンを渡る時、まず神の御言葉を先行させたように、今回のエリコの戦いでも、まず、神の御言葉に従う聖なる生き方をすることが求められています。そしてこの戦いは神様の戦いですから、人間の武器や力や軍隊の大きさによるものではありません。神様を前面に押し出し、神に仕える祭司が主役です。そして兵士の武器の代わりに、祭司の吹く角笛と民のときの声が戦いの武器でした。
2節以降を読んでみましょう。「その時、主はヨシュアに言われた。『見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、時の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。』」
(6:2~7)
一体この儀式のような戦い方は何を意味するのでしょうか。イスラエルの兵も、全然攻撃しないで、毎日毎日、角笛を吹いて祭司たちが回っているのですから、果たしてこの戦いに勝利できるだろうかと疑問に思ったかもしれません。一体神様は何を考えているのだろうと不思議に思ったに違いありません。でも大事なことは、神様が命じたとおりに行うということです。たとえ自分が腑に落ちなくても、主がこうしなさいと言ったらそれを忠実に実行することです。たとえ戦いの成果が見えなくても、かたくななまでに黙々と町を回ることです。
今日も私たちは、教会案内会を持って出かけて行きます。神様は私たちに「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい。」と命じられました(Ⅱテモテ4:2)。蒔く人がたくさんいるから、きれいなパンフレットができたから蒔くのではなく、時が良くても悪くても、どんな状況の中でも御言葉の種を蒔き続けることです。毎月、こんなことをして一体どうなるのかと疑問が起こるような時があるかもしれません。でも、やがて主の勝利の時、エリコの町の城壁が崩れ落ちる時が来ますから、それまでまき続けるのです。
この成田、富里の町の人々の心の城門は固く、固い城壁のように高くそびえ、神がその心の中に入って行くのを拒んでいるみたいです。確かに、関東随一の大きな寺院があり、人々は福音に対して固く心を閉ざしているかもしれません。それでも、主が町を回りなさいと命じられたら、そのようにしたいものです。町を七回まわるということは、神様の救いの時が満ちるまでという意味があります。その時が満ちるまで、信じて忍耐して続けるのです。必ずその時が来ます。そうしたら一挙に攻め込んで魂を獲得するのです。私たちの戦いではなく、主の戦いなのです。
4.城壁は崩れた
契約の箱を先頭にして、角笛の祭司、そして護衛の兵士が六日間、一回づつ町を回りました。そして七日目には、七回まわって、ヨシュアの合図に従って、角笛が一斉に鳴り響きました。それから民が一斉に鬨の声をあげました。そうしましたら、あの固く高くそびえたエリコの町の城壁が突然、轟音と共に崩れてしまったのです。不思議なこと、奇跡が起こりました。そして、その崩れたところから一斉に突入して、あっという間に町は占領されてしまいました。
16節から読んでみましょう。「七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。『鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にある者は、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからである。あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物蔵に納めよ。』角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。」
(6:16~21)
あの堅固なエリコの町を占領したのは、軍隊の力でも巧みな戦術でも強力な武器でもありません。神の大いなる力と奇跡を引き起こしたのは、神御自身です。民は神の御言葉を先頭に行進し、最後に一斉に鬨の声をあげました。わたしはこれは、私たちの祈りと賛美の声ではないかと思うのです。私たちが神に向かって声をあげる時、神が働いてくださいます。その力強い御手を持って戦って下さいます。
新約聖書で同じようなことが起こった事件が一つあります。それは、パウロとシラスが捕えられた時に、彼らは足枷をかけられて暗い奥の牢屋に入れられました。何もできませんでした。しかし、二人が牢屋でできた唯一のことは、神に賛美の歌を捧げることと祈ることでした(使徒言行録16:25)。そして二人が祈り、賛美をし始めると、突然地震が起こり、牢の土台が揺れ動いて崩れ、二人は解放されました。もちろん二人は逃げませんでした。この二人の祈りと賛美、そして堂々とした正しい行いを見て、牢屋番とその家族が救われたのは有名な話です。祈りと賛美の声、これが地震を引き起こして牢の土台を崩したように、エリコのあの城壁を崩したのも人々の鬨の声なのです。ですから皆さん、まず祈りましょう。賛美しましょう。
しかし、イスラエルの民にとって約束の地を奪い取るということは宗教行為であり、神の働きの一つなのです。これを聖戦思想といいますが、イスラム教でも、聖戦(=ジハード)として戦うという考え方が残っています。そして、戦利品は神への捧げものとして、神に返さなければならなかったのです。ですから、戦利品を自分の所有物とせずに、神に捧げるという意味でいけにえとしてすべて殺してしまわなければなりませんでした。これを「聖絶」といいます。
人を生かしておいて、彼らの習慣や偶像礼拝に倣ってしまわないように、この世に属する者をすべて滅ぼし去るという考え方です。私たちも、神に救われた者、水の中をくぐってバプテスマを受けた者は、決してもう一度、以前の肉の生活や偶像礼拝に戻ることのないようにという意味で、汚れたものをすべてを滅ぼし尽くしてしまわなければなりません。
自分の心の内から、神に喜ばれないもの、罪や悪い思い、ねたみ、偶像、悪習慣すべてを徹底的に取り除きたいものです。まことの神以外の偶像を、一つも残すことなく滅ぼし尽くせというのが、神の御言葉に従うことでした。そしてヨシュアとイスラエルの民は、そのことを実行したのです。それが「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」(6:17)ということの意味です。
この神の命令を守ること、これが契約の箱を先頭にして進んでゆくということです。常に御言葉に従う生き方です。そうである限り彼らは、これからの戦いにも勝利してゆくことができるのです。そして絶えず祈り、喜んで賛美を捧げつつ歩んでゆくこと、これが約束の地での神の民の歩みでした。彼らの霊的な戦いでした。私たちは、賛美と祈りを持ってエリコの町を、今月も回ろうとしています。まだ、エリコの城壁は高くそびえたっています。ちょっとやそっとでは崩れそうもありません。でもやがて、七日目の時が来て、賛美と祈りの声によって崩れ落ちる時が来ます。そのことを信じて、今日も賛美と祈りを持って出かけて行きましょう。
(岡田 久)
詳細
■参加費:無料
■日時:第二金曜日 AM10:00~11:00
■集合場所:永田町
(〒100-0014 東京都千代田区永田町2-17-10 サンハイム永田町302
株式会社ブライダルプロデュース・ピープル)
SNSシェア・拡散お願いします。
この活動を広め、多くの方に知っていただく為に是非シェアをお願いします。
ページ下記のSNSボタンより簡単にシェア頂けますので、お願いします。
記者:Yuki
祈りの歩行
日本の為に祈って歩きませんか?
沈みゆく日本経済の中で、私たちには今打ち破りの祈りが必要です。
エリコの城門を主が打ち破られたように、私たちは月に1度、国会議事堂の周りを祈りながら歩いています。
参加費等は必要ありません。
共に日本の為に祈り、実際に行動してくれる仲間が必要です。
私たちと一緒に日本の為に祈り、歩きませんか?
詳しくは下記をご覧下さい。
詳細
■参加費:無料
■日時:第二金曜日 AM10:00~11:00
■集合場所:永田町
(〒100-0014 東京都千代田区永田町2-17-10 サンハイム永田町302
株式会社ブライダルプロデュース・ピープル)
なぜやるのか
※世界終末時計(せかいしゅうまつどけい、英語: Doomsday clock)とは、核戦争などによる人類(世界[1]や地球[2]と表現されることもある)の絶滅(終末)を午前0時になぞらえ、その終末までの残り時間を「零時まであと何分」という形で象徴的に示す時計である。実際の動く時計ではなく、一般的に時計の45分から正時までの部分を切り出した絵で表される。「運命の日」の時計あるいは単に終末時計[3]ともいう。『Wikipedia』
今や中国・シンガポールにも経済力を奪われ、アジア経済の中で日本の存在感は薄れています。
また、北朝鮮問題による国際情勢の緊張感が高まり第三次世界大戦の危機に晒されています。
アメリカとソ連による冷戦時代より設置され、世界の終末へのカウントダウンを行っている※世界終末時計が残り2分30秒に更新されこれまでにない程緊張感が高まっています。
だからこそ、今日本の中心地で最も高い所から日本・世界の為に祈る必要があります。
聖書にも書かれているように最も高い所から国のトップの為に祈る必要があります。
人間の勝手な思いによる政治の結果が今の緊張を生み出し、世界が危機に瀕しています。
私たちのリーダーには人間の思いでなく、神の知恵が必要です。私ちが国会議事堂の周りを祈り歩くことで、彼らに良い知恵が与えられ日本が守られるよう霊的なプロテクションを貼る必要があります。
映画「祈りのちから」でも語られているように私たちは
”戦う相手を知らなければなりません。”
私たちの祈り歩く一歩一歩が悪を打ち砕き、日本に打ち破りの力を与えます。
日本の一番高い所からトップダウンで祈る必要があります。
だから、私たちは日本の為に祈り歩くのです。
祈りの歩行について
[embedyt] https://www.youtube.com/watch?v=8HCI60TTui0[/embedyt]エリコの城門と七人の祭司の行進
※日本バプテスト連盟 豊里キリスト教会メッセージより転載。
「エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を固く閉ざしたので、誰も出入りすることはできなかった。」とあります。このエリコの町の城門と高くそびえる城壁は、実は、この町の人々の心の状態を示しています。絶対に、イスラエルの攻撃に屈しまい、扉を開けることはすまいという町の人々のかたくなな固い決意を象徴しております。高くそびえた城壁、固く閉ざした門、いかにエリコの人々が神に対して心を固く閉ざして、神の民を一歩も受け入れまいとしていたかが解ります。
しかし、ヨシュアは、エリコ攻撃に先立って、エリコの町にスパイを送り込んで、町の人々の様子を探らせておりました。そして人々はイスラエルの総攻撃に戦々恐々しているという情報が入りました。内側の心が震えているからこそ、表面的にはかたくなになっていたのです。そしてこの二人のスパイは自分たちをかくまってくれた、遊女ラハブとその家族を助けると約束しました。総攻撃に時には、家の窓に真っ赤な紐を結びつけているならば、イスラエルの兵士が、彼女とその家族を守ってくれるというのです。この町で救われたのはこの遊女ラハブの家族だけでした。
3.契約の箱と七人の祭司の行進
モーセは民にこう言いました。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト14:14)また、主はヨシュアにこう言いました。「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。」
神の契約の箱というのは、その箱をありがたがって大事に扱うということではなく、また箱があれば戦争に勝つというようなものではありません。契約の箱を先頭にするということは、中に入っている神の御言葉に従う生活を第一にするということです。それが私たちの戦いなのです。ヨルダンを渡る時、まず神の御言葉を先行させたように、今回のエリコの戦いでも、まず、神の御言葉に従う聖なる生き方をすることが求められています。そしてこの戦いは神様の戦いですから、人間の武器や力や軍隊の大きさによるものではありません。神様を前面に押し出し、神に仕える祭司が主役です。そして兵士の武器の代わりに、祭司の吹く角笛と民のときの声が戦いの武器でした。
2節以降を読んでみましょう。「その時、主はヨシュアに言われた。『見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、時の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。』」
(6:2~7)
一体この儀式のような戦い方は何を意味するのでしょうか。イスラエルの兵も、全然攻撃しないで、毎日毎日、角笛を吹いて祭司たちが回っているのですから、果たしてこの戦いに勝利できるだろうかと疑問に思ったかもしれません。一体神様は何を考えているのだろうと不思議に思ったに違いありません。でも大事なことは、神様が命じたとおりに行うということです。たとえ自分が腑に落ちなくても、主がこうしなさいと言ったらそれを忠実に実行することです。たとえ戦いの成果が見えなくても、かたくななまでに黙々と町を回ることです。
今日も私たちは、教会案内会を持って出かけて行きます。神様は私たちに「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい。」と命じられました(Ⅱテモテ4:2)。蒔く人がたくさんいるから、きれいなパンフレットができたから蒔くのではなく、時が良くても悪くても、どんな状況の中でも御言葉の種を蒔き続けることです。毎月、こんなことをして一体どうなるのかと疑問が起こるような時があるかもしれません。でも、やがて主の勝利の時、エリコの町の城壁が崩れ落ちる時が来ますから、それまでまき続けるのです。
この成田、富里の町の人々の心の城門は固く、固い城壁のように高くそびえ、神がその心の中に入って行くのを拒んでいるみたいです。確かに、関東随一の大きな寺院があり、人々は福音に対して固く心を閉ざしているかもしれません。それでも、主が町を回りなさいと命じられたら、そのようにしたいものです。町を七回まわるということは、神様の救いの時が満ちるまでという意味があります。その時が満ちるまで、信じて忍耐して続けるのです。必ずその時が来ます。そうしたら一挙に攻め込んで魂を獲得するのです。私たちの戦いではなく、主の戦いなのです。
4.城壁は崩れた
契約の箱を先頭にして、角笛の祭司、そして護衛の兵士が六日間、一回づつ町を回りました。そして七日目には、七回まわって、ヨシュアの合図に従って、角笛が一斉に鳴り響きました。それから民が一斉に鬨の声をあげました。そうしましたら、あの固く高くそびえたエリコの町の城壁が突然、轟音と共に崩れてしまったのです。不思議なこと、奇跡が起こりました。そして、その崩れたところから一斉に突入して、あっという間に町は占領されてしまいました。
16節から読んでみましょう。「七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。『鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にある者は、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからである。あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物蔵に納めよ。』角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。」
(6:16~21)
あの堅固なエリコの町を占領したのは、軍隊の力でも巧みな戦術でも強力な武器でもありません。神の大いなる力と奇跡を引き起こしたのは、神御自身です。民は神の御言葉を先頭に行進し、最後に一斉に鬨の声をあげました。わたしはこれは、私たちの祈りと賛美の声ではないかと思うのです。私たちが神に向かって声をあげる時、神が働いてくださいます。その力強い御手を持って戦って下さいます。
新約聖書で同じようなことが起こった事件が一つあります。それは、パウロとシラスが捕えられた時に、彼らは足枷をかけられて暗い奥の牢屋に入れられました。何もできませんでした。しかし、二人が牢屋でできた唯一のことは、神に賛美の歌を捧げることと祈ることでした(使徒言行録16:25)。そして二人が祈り、賛美をし始めると、突然地震が起こり、牢の土台が揺れ動いて崩れ、二人は解放されました。もちろん二人は逃げませんでした。この二人の祈りと賛美、そして堂々とした正しい行いを見て、牢屋番とその家族が救われたのは有名な話です。祈りと賛美の声、これが地震を引き起こして牢の土台を崩したように、エリコのあの城壁を崩したのも人々の鬨の声なのです。ですから皆さん、まず祈りましょう。賛美しましょう。
しかし、イスラエルの民にとって約束の地を奪い取るということは宗教行為であり、神の働きの一つなのです。これを聖戦思想といいますが、イスラム教でも、聖戦(=ジハード)として戦うという考え方が残っています。そして、戦利品は神への捧げものとして、神に返さなければならなかったのです。ですから、戦利品を自分の所有物とせずに、神に捧げるという意味でいけにえとしてすべて殺してしまわなければなりませんでした。これを「聖絶」といいます。
人を生かしておいて、彼らの習慣や偶像礼拝に倣ってしまわないように、この世に属する者をすべて滅ぼし去るという考え方です。私たちも、神に救われた者、水の中をくぐってバプテスマを受けた者は、決してもう一度、以前の肉の生活や偶像礼拝に戻ることのないようにという意味で、汚れたものをすべてを滅ぼし尽くしてしまわなければなりません。
自分の心の内から、神に喜ばれないもの、罪や悪い思い、ねたみ、偶像、悪習慣すべてを徹底的に取り除きたいものです。まことの神以外の偶像を、一つも残すことなく滅ぼし尽くせというのが、神の御言葉に従うことでした。そしてヨシュアとイスラエルの民は、そのことを実行したのです。それが「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」(6:17)ということの意味です。
この神の命令を守ること、これが契約の箱を先頭にして進んでゆくということです。常に御言葉に従う生き方です。そうである限り彼らは、これからの戦いにも勝利してゆくことができるのです。そして絶えず祈り、喜んで賛美を捧げつつ歩んでゆくこと、これが約束の地での神の民の歩みでした。彼らの霊的な戦いでした。私たちは、賛美と祈りを持ってエリコの町を、今月も回ろうとしています。まだ、エリコの城壁は高くそびえたっています。ちょっとやそっとでは崩れそうもありません。でもやがて、七日目の時が来て、賛美と祈りの声によって崩れ落ちる時が来ます。そのことを信じて、今日も賛美と祈りを持って出かけて行きましょう。
(岡田 久)
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■参加費:無料
■日時:第二金曜日 AM10:00~11:00
■集合場所:永田町
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記者:Yuki
投稿日:2018年4月3日
コラム担当:Yuki
皆さん、こんにちは。
いつもブログを拝見頂きありがとうございます。
本日は、私たちが通ってる教会、神戸バイブルフェローシップのお知らせです。
KBFフレンズ東京
神戸バイブルフェローシップでは担任牧師であるロバートフラハティが日本全国に赴いて、
日本全国に神様の愛を伝える事を目的としたTouch JAPANという活動をしています。
その一環として、2ヶ月に1度、東京で” フレンズ東京”を開催しています。
フレンズ東京はKBFインターネットラジオでロブのメッセージを聞いて居た人達が
東京でも生のメッセージを聞けるようにロブを東京に招いた事が始まりました。
この記念すべき第1回目は銀座で行われ、本活動も今年で5年目を迎えます。
今では毎回多くの方が参加され、クリスチャン以外の方でもロブのメッセージを聞きに来られます。
このように現在では2か月に1度、フレンズ東京と題してお茶の水クリスチャンセンターでサービスを捧げています。
KBFとは
神戸バイブルフェローシップは、カジュアルな服装でどなたでも参加できるプロテスタントの教会です。みんなで現代的な賛美歌を歌い、わかりやすい日本語と簡単な英語で、聖書からイエス・キリストについて学びます。様々な国から沢山の方が毎週お越しになります。クリスチャンではない方もお気軽に。礼拝中の出入りも自由です。日曜礼拝だけでなく、フラの練習や聖書の学びの時間もありますので、そちらにもお気軽にご参加ください。私たちは、こられた方にお名前やお住いをしつこくお伺いすることや、礼拝中に皆さんの前での新規来会者紹介等は一切ございませんので安心してお越し下さい。(KBFホームページより抜粋)
フレンズ東京 開催日:偶数月の第3金曜日
場所:クリスチャンお茶の水センター
時間:19時〜21時
参加費:無料
皆さんのご参加をお待ちしています☆
礼拝後は近くのレストランで食事をし、交わりを深めています。
是非、お気軽にご参加ください♩
ロブを励まそう!
Touch JAPANの活動を行う中で、最も大変なのが霊的な戦いです。
ロブに皆さんの励ましと祈りが必要です!今は本当に辛い戦いを強いられています。
ロブの癌が再び癒され、神の栄光が現れ勝利するように皆で祈りましょう!
だから、
是非!フレンズ東京に参加して”ロブの癌が癒されるよう”直接一緒に祈ってください。
お願いします。
癒しの霊の賜物がある人がいたら、その人を連れて来てください。
Touch JAPAN
“Touch Japan”Facebookページはこちら。
記者:Yuki
祈りの歩行
日本の為に祈って歩きませんか?
沈みゆく日本経済の中で、私たちには今打ち破りの祈りが必要です。
エリコの城門を主が打ち破られたように、私たちは月に1度、国会議事堂の周りを祈りながら歩いています。
参加費等は必要ありません。
共に日本の為に祈り、実際に行動してくれる仲間が必要です。
私たちと一緒に日本の為に祈り、歩きませんか?
詳しくは下記をご覧下さい。
詳細
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なぜやるのか
※世界終末時計(せかいしゅうまつどけい、英語: Doomsday clock)とは、核戦争などによる人類(世界[1]や地球[2]と表現されることもある)の絶滅(終末)を午前0時になぞらえ、その終末までの残り時間を「零時まであと何分」という形で象徴的に示す時計である。実際の動く時計ではなく、一般的に時計の45分から正時までの部分を切り出した絵で表される。「運命の日」の時計あるいは単に終末時計[3]ともいう。『Wikipedia』
今や中国・シンガポールにも経済力を奪われ、アジア経済の中で日本の存在感は薄れています。
また、北朝鮮問題による国際情勢の緊張感が高まり第三次世界大戦の危機に晒されています。
アメリカとソ連による冷戦時代より設置され、世界の終末へのカウントダウンを行っている※世界終末時計が残り2分30秒に更新されこれまでにない程緊張感が高まっています。
だからこそ、今日本の中心地で最も高い所から日本・世界の為に祈る必要があります。
聖書にも書かれているように最も高い所から国のトップの為に祈る必要があります。
人間の勝手な思いによる政治の結果が今の緊張を生み出し、世界が危機に瀕しています。
私たちのリーダーには人間の思いでなく、神の知恵が必要です。私ちが国会議事堂の周りを祈り歩くことで、彼らに良い知恵が与えられ日本が守られるよう霊的なプロテクションを貼る必要があります。
映画「祈りのちから」でも語られているように私たちは
”戦う相手を知らなければなりません。”
私たちの祈り歩く一歩一歩が悪を打ち砕き、日本に打ち破りの力を与えます。
日本の一番高い所からトップダウンで祈る必要があります。
だから、私たちは日本の為に祈り歩くのです。
祈りの歩行について
[embedyt] https://www.youtube.com/watch?v=8HCI60TTui0[/embedyt]エリコの城門と七人の祭司の行進
※日本バプテスト連盟 豊里キリスト教会メッセージより転載。
「エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を固く閉ざしたので、誰も出入りすることはできなかった。」とあります。このエリコの町の城門と高くそびえる城壁は、実は、この町の人々の心の状態を示しています。絶対に、イスラエルの攻撃に屈しまい、扉を開けることはすまいという町の人々のかたくなな固い決意を象徴しております。高くそびえた城壁、固く閉ざした門、いかにエリコの人々が神に対して心を固く閉ざして、神の民を一歩も受け入れまいとしていたかが解ります。
しかし、ヨシュアは、エリコ攻撃に先立って、エリコの町にスパイを送り込んで、町の人々の様子を探らせておりました。そして人々はイスラエルの総攻撃に戦々恐々しているという情報が入りました。内側の心が震えているからこそ、表面的にはかたくなになっていたのです。そしてこの二人のスパイは自分たちをかくまってくれた、遊女ラハブとその家族を助けると約束しました。総攻撃に時には、家の窓に真っ赤な紐を結びつけているならば、イスラエルの兵士が、彼女とその家族を守ってくれるというのです。この町で救われたのはこの遊女ラハブの家族だけでした。
3.契約の箱と七人の祭司の行進
モーセは民にこう言いました。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト14:14)また、主はヨシュアにこう言いました。「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。」
神の契約の箱というのは、その箱をありがたがって大事に扱うということではなく、また箱があれば戦争に勝つというようなものではありません。契約の箱を先頭にするということは、中に入っている神の御言葉に従う生活を第一にするということです。それが私たちの戦いなのです。ヨルダンを渡る時、まず神の御言葉を先行させたように、今回のエリコの戦いでも、まず、神の御言葉に従う聖なる生き方をすることが求められています。そしてこの戦いは神様の戦いですから、人間の武器や力や軍隊の大きさによるものではありません。神様を前面に押し出し、神に仕える祭司が主役です。そして兵士の武器の代わりに、祭司の吹く角笛と民のときの声が戦いの武器でした。
2節以降を読んでみましょう。「その時、主はヨシュアに言われた。『見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、時の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。』」
(6:2~7)
一体この儀式のような戦い方は何を意味するのでしょうか。イスラエルの兵も、全然攻撃しないで、毎日毎日、角笛を吹いて祭司たちが回っているのですから、果たしてこの戦いに勝利できるだろうかと疑問に思ったかもしれません。一体神様は何を考えているのだろうと不思議に思ったに違いありません。でも大事なことは、神様が命じたとおりに行うということです。たとえ自分が腑に落ちなくても、主がこうしなさいと言ったらそれを忠実に実行することです。たとえ戦いの成果が見えなくても、かたくななまでに黙々と町を回ることです。
今日も私たちは、教会案内会を持って出かけて行きます。神様は私たちに「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい。」と命じられました(Ⅱテモテ4:2)。蒔く人がたくさんいるから、きれいなパンフレットができたから蒔くのではなく、時が良くても悪くても、どんな状況の中でも御言葉の種を蒔き続けることです。毎月、こんなことをして一体どうなるのかと疑問が起こるような時があるかもしれません。でも、やがて主の勝利の時、エリコの町の城壁が崩れ落ちる時が来ますから、それまでまき続けるのです。
この成田、富里の町の人々の心の城門は固く、固い城壁のように高くそびえ、神がその心の中に入って行くのを拒んでいるみたいです。確かに、関東随一の大きな寺院があり、人々は福音に対して固く心を閉ざしているかもしれません。それでも、主が町を回りなさいと命じられたら、そのようにしたいものです。町を七回まわるということは、神様の救いの時が満ちるまでという意味があります。その時が満ちるまで、信じて忍耐して続けるのです。必ずその時が来ます。そうしたら一挙に攻め込んで魂を獲得するのです。私たちの戦いではなく、主の戦いなのです。
4.城壁は崩れた
契約の箱を先頭にして、角笛の祭司、そして護衛の兵士が六日間、一回づつ町を回りました。そして七日目には、七回まわって、ヨシュアの合図に従って、角笛が一斉に鳴り響きました。それから民が一斉に鬨の声をあげました。そうしましたら、あの固く高くそびえたエリコの町の城壁が突然、轟音と共に崩れてしまったのです。不思議なこと、奇跡が起こりました。そして、その崩れたところから一斉に突入して、あっという間に町は占領されてしまいました。
16節から読んでみましょう。「七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。『鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にある者は、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからである。あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物蔵に納めよ。』角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。」
(6:16~21)
あの堅固なエリコの町を占領したのは、軍隊の力でも巧みな戦術でも強力な武器でもありません。神の大いなる力と奇跡を引き起こしたのは、神御自身です。民は神の御言葉を先頭に行進し、最後に一斉に鬨の声をあげました。わたしはこれは、私たちの祈りと賛美の声ではないかと思うのです。私たちが神に向かって声をあげる時、神が働いてくださいます。その力強い御手を持って戦って下さいます。
新約聖書で同じようなことが起こった事件が一つあります。それは、パウロとシラスが捕えられた時に、彼らは足枷をかけられて暗い奥の牢屋に入れられました。何もできませんでした。しかし、二人が牢屋でできた唯一のことは、神に賛美の歌を捧げることと祈ることでした(使徒言行録16:25)。そして二人が祈り、賛美をし始めると、突然地震が起こり、牢の土台が揺れ動いて崩れ、二人は解放されました。もちろん二人は逃げませんでした。この二人の祈りと賛美、そして堂々とした正しい行いを見て、牢屋番とその家族が救われたのは有名な話です。祈りと賛美の声、これが地震を引き起こして牢の土台を崩したように、エリコのあの城壁を崩したのも人々の鬨の声なのです。ですから皆さん、まず祈りましょう。賛美しましょう。
しかし、イスラエルの民にとって約束の地を奪い取るということは宗教行為であり、神の働きの一つなのです。これを聖戦思想といいますが、イスラム教でも、聖戦(=ジハード)として戦うという考え方が残っています。そして、戦利品は神への捧げものとして、神に返さなければならなかったのです。ですから、戦利品を自分の所有物とせずに、神に捧げるという意味でいけにえとしてすべて殺してしまわなければなりませんでした。これを「聖絶」といいます。
人を生かしておいて、彼らの習慣や偶像礼拝に倣ってしまわないように、この世に属する者をすべて滅ぼし去るという考え方です。私たちも、神に救われた者、水の中をくぐってバプテスマを受けた者は、決してもう一度、以前の肉の生活や偶像礼拝に戻ることのないようにという意味で、汚れたものをすべてを滅ぼし尽くしてしまわなければなりません。
自分の心の内から、神に喜ばれないもの、罪や悪い思い、ねたみ、偶像、悪習慣すべてを徹底的に取り除きたいものです。まことの神以外の偶像を、一つも残すことなく滅ぼし尽くせというのが、神の御言葉に従うことでした。そしてヨシュアとイスラエルの民は、そのことを実行したのです。それが「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」(6:17)ということの意味です。
この神の命令を守ること、これが契約の箱を先頭にして進んでゆくということです。常に御言葉に従う生き方です。そうである限り彼らは、これからの戦いにも勝利してゆくことができるのです。そして絶えず祈り、喜んで賛美を捧げつつ歩んでゆくこと、これが約束の地での神の民の歩みでした。彼らの霊的な戦いでした。私たちは、賛美と祈りを持ってエリコの町を、今月も回ろうとしています。まだ、エリコの城壁は高くそびえたっています。ちょっとやそっとでは崩れそうもありません。でもやがて、七日目の時が来て、賛美と祈りの声によって崩れ落ちる時が来ます。そのことを信じて、今日も賛美と祈りを持って出かけて行きましょう。
(岡田 久)
詳細
■参加費:無料
■日時:第二金曜日 AM10:00~11:00
■集合場所:永田町
(〒100-0014 東京都千代田区永田町2-17-10 サンハイム永田町302
株式会社ブライダルプロデュース・ピープル)
SNSシェア・拡散お願いします。
この活動を広め、多くの方に知っていただく為に是非シェアをお願いします。
ページ下記のSNSボタンより簡単にシェア頂けますので、お願いします。
記者:Yuki
祈りの歩行
日本の為に祈って歩きませんか?
沈みゆく日本経済の中で、私たちには今打ち破りの祈りが必要です。
エリコの城門を主が打ち破られたように、私たちは月に1度、国会議事堂の周りを祈りながら歩いています。
参加費等は必要ありません。
共に日本の為に祈り、実際に行動してくれる仲間が必要です。
私たちと一緒に日本の為に祈り、歩きませんか?
詳しくは下記をご覧下さい。
詳細
■参加費:無料
■日時:第二金曜日 AM10:00~11:00
■集合場所:永田町
(〒100-0014 東京都千代田区永田町2-17-10 サンハイム永田町302
株式会社ブライダルプロデュース・ピープル)
なぜやるのか
※世界終末時計(せかいしゅうまつどけい、英語: Doomsday clock)とは、核戦争などによる人類(世界[1]や地球[2]と表現されることもある)の絶滅(終末)を午前0時になぞらえ、その終末までの残り時間を「零時まであと何分」という形で象徴的に示す時計である。実際の動く時計ではなく、一般的に時計の45分から正時までの部分を切り出した絵で表される。「運命の日」の時計あるいは単に終末時計[3]ともいう。『Wikipedia』
今や中国・シンガポールにも経済力を奪われ、アジア経済の中で日本の存在感は薄れています。
また、北朝鮮問題による国際情勢の緊張感が高まり第三次世界大戦の危機に晒されています。
アメリカとソ連による冷戦時代より設置され、世界の終末へのカウントダウンを行っている※世界終末時計が残り2分30秒に更新されこれまでにない程緊張感が高まっています。
だからこそ、今日本の中心地で最も高い所から日本・世界の為に祈る必要があります。
聖書にも書かれているように最も高い所から国のトップの為に祈る必要があります。
人間の勝手な思いによる政治の結果が今の緊張を生み出し、世界が危機に瀕しています。
私たちのリーダーには人間の思いでなく、神の知恵が必要です。私ちが国会議事堂の周りを祈り歩くことで、彼らに良い知恵が与えられ日本が守られるよう霊的なプロテクションを貼る必要があります。
映画「祈りのちから」でも語られているように私たちは
”戦う相手を知らなければなりません。”
私たちの祈り歩く一歩一歩が悪を打ち砕き、日本に打ち破りの力を与えます。
日本の一番高い所からトップダウンで祈る必要があります。
だから、私たちは日本の為に祈り歩くのです。
祈りの歩行について
[embedyt] https://www.youtube.com/watch?v=8HCI60TTui0[/embedyt]エリコの城門と七人の祭司の行進
※日本バプテスト連盟 豊里キリスト教会メッセージより転載。
「エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を固く閉ざしたので、誰も出入りすることはできなかった。」とあります。このエリコの町の城門と高くそびえる城壁は、実は、この町の人々の心の状態を示しています。絶対に、イスラエルの攻撃に屈しまい、扉を開けることはすまいという町の人々のかたくなな固い決意を象徴しております。高くそびえた城壁、固く閉ざした門、いかにエリコの人々が神に対して心を固く閉ざして、神の民を一歩も受け入れまいとしていたかが解ります。
しかし、ヨシュアは、エリコ攻撃に先立って、エリコの町にスパイを送り込んで、町の人々の様子を探らせておりました。そして人々はイスラエルの総攻撃に戦々恐々しているという情報が入りました。内側の心が震えているからこそ、表面的にはかたくなになっていたのです。そしてこの二人のスパイは自分たちをかくまってくれた、遊女ラハブとその家族を助けると約束しました。総攻撃に時には、家の窓に真っ赤な紐を結びつけているならば、イスラエルの兵士が、彼女とその家族を守ってくれるというのです。この町で救われたのはこの遊女ラハブの家族だけでした。
3.契約の箱と七人の祭司の行進
モーセは民にこう言いました。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト14:14)また、主はヨシュアにこう言いました。「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。」
神の契約の箱というのは、その箱をありがたがって大事に扱うということではなく、また箱があれば戦争に勝つというようなものではありません。契約の箱を先頭にするということは、中に入っている神の御言葉に従う生活を第一にするということです。それが私たちの戦いなのです。ヨルダンを渡る時、まず神の御言葉を先行させたように、今回のエリコの戦いでも、まず、神の御言葉に従う聖なる生き方をすることが求められています。そしてこの戦いは神様の戦いですから、人間の武器や力や軍隊の大きさによるものではありません。神様を前面に押し出し、神に仕える祭司が主役です。そして兵士の武器の代わりに、祭司の吹く角笛と民のときの声が戦いの武器でした。
2節以降を読んでみましょう。「その時、主はヨシュアに言われた。『見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、時の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。』」
(6:2~7)
一体この儀式のような戦い方は何を意味するのでしょうか。イスラエルの兵も、全然攻撃しないで、毎日毎日、角笛を吹いて祭司たちが回っているのですから、果たしてこの戦いに勝利できるだろうかと疑問に思ったかもしれません。一体神様は何を考えているのだろうと不思議に思ったに違いありません。でも大事なことは、神様が命じたとおりに行うということです。たとえ自分が腑に落ちなくても、主がこうしなさいと言ったらそれを忠実に実行することです。たとえ戦いの成果が見えなくても、かたくななまでに黙々と町を回ることです。
今日も私たちは、教会案内会を持って出かけて行きます。神様は私たちに「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい。」と命じられました(Ⅱテモテ4:2)。蒔く人がたくさんいるから、きれいなパンフレットができたから蒔くのではなく、時が良くても悪くても、どんな状況の中でも御言葉の種を蒔き続けることです。毎月、こんなことをして一体どうなるのかと疑問が起こるような時があるかもしれません。でも、やがて主の勝利の時、エリコの町の城壁が崩れ落ちる時が来ますから、それまでまき続けるのです。
この成田、富里の町の人々の心の城門は固く、固い城壁のように高くそびえ、神がその心の中に入って行くのを拒んでいるみたいです。確かに、関東随一の大きな寺院があり、人々は福音に対して固く心を閉ざしているかもしれません。それでも、主が町を回りなさいと命じられたら、そのようにしたいものです。町を七回まわるということは、神様の救いの時が満ちるまでという意味があります。その時が満ちるまで、信じて忍耐して続けるのです。必ずその時が来ます。そうしたら一挙に攻め込んで魂を獲得するのです。私たちの戦いではなく、主の戦いなのです。
4.城壁は崩れた
契約の箱を先頭にして、角笛の祭司、そして護衛の兵士が六日間、一回づつ町を回りました。そして七日目には、七回まわって、ヨシュアの合図に従って、角笛が一斉に鳴り響きました。それから民が一斉に鬨の声をあげました。そうしましたら、あの固く高くそびえたエリコの町の城壁が突然、轟音と共に崩れてしまったのです。不思議なこと、奇跡が起こりました。そして、その崩れたところから一斉に突入して、あっという間に町は占領されてしまいました。
16節から読んでみましょう。「七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。『鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にある者は、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからである。あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物蔵に納めよ。』角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。」
(6:16~21)
あの堅固なエリコの町を占領したのは、軍隊の力でも巧みな戦術でも強力な武器でもありません。神の大いなる力と奇跡を引き起こしたのは、神御自身です。民は神の御言葉を先頭に行進し、最後に一斉に鬨の声をあげました。わたしはこれは、私たちの祈りと賛美の声ではないかと思うのです。私たちが神に向かって声をあげる時、神が働いてくださいます。その力強い御手を持って戦って下さいます。
新約聖書で同じようなことが起こった事件が一つあります。それは、パウロとシラスが捕えられた時に、彼らは足枷をかけられて暗い奥の牢屋に入れられました。何もできませんでした。しかし、二人が牢屋でできた唯一のことは、神に賛美の歌を捧げることと祈ることでした(使徒言行録16:25)。そして二人が祈り、賛美をし始めると、突然地震が起こり、牢の土台が揺れ動いて崩れ、二人は解放されました。もちろん二人は逃げませんでした。この二人の祈りと賛美、そして堂々とした正しい行いを見て、牢屋番とその家族が救われたのは有名な話です。祈りと賛美の声、これが地震を引き起こして牢の土台を崩したように、エリコのあの城壁を崩したのも人々の鬨の声なのです。ですから皆さん、まず祈りましょう。賛美しましょう。
しかし、イスラエルの民にとって約束の地を奪い取るということは宗教行為であり、神の働きの一つなのです。これを聖戦思想といいますが、イスラム教でも、聖戦(=ジハード)として戦うという考え方が残っています。そして、戦利品は神への捧げものとして、神に返さなければならなかったのです。ですから、戦利品を自分の所有物とせずに、神に捧げるという意味でいけにえとしてすべて殺してしまわなければなりませんでした。これを「聖絶」といいます。
人を生かしておいて、彼らの習慣や偶像礼拝に倣ってしまわないように、この世に属する者をすべて滅ぼし去るという考え方です。私たちも、神に救われた者、水の中をくぐってバプテスマを受けた者は、決してもう一度、以前の肉の生活や偶像礼拝に戻ることのないようにという意味で、汚れたものをすべてを滅ぼし尽くしてしまわなければなりません。
自分の心の内から、神に喜ばれないもの、罪や悪い思い、ねたみ、偶像、悪習慣すべてを徹底的に取り除きたいものです。まことの神以外の偶像を、一つも残すことなく滅ぼし尽くせというのが、神の御言葉に従うことでした。そしてヨシュアとイスラエルの民は、そのことを実行したのです。それが「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」(6:17)ということの意味です。
この神の命令を守ること、これが契約の箱を先頭にして進んでゆくということです。常に御言葉に従う生き方です。そうである限り彼らは、これからの戦いにも勝利してゆくことができるのです。そして絶えず祈り、喜んで賛美を捧げつつ歩んでゆくこと、これが約束の地での神の民の歩みでした。彼らの霊的な戦いでした。私たちは、賛美と祈りを持ってエリコの町を、今月も回ろうとしています。まだ、エリコの城壁は高くそびえたっています。ちょっとやそっとでは崩れそうもありません。でもやがて、七日目の時が来て、賛美と祈りの声によって崩れ落ちる時が来ます。そのことを信じて、今日も賛美と祈りを持って出かけて行きましょう。
(岡田 久)
詳細
■参加費:無料
■日時:第二金曜日 AM10:00~11:00
■集合場所:永田町
(〒100-0014 東京都千代田区永田町2-17-10 サンハイム永田町302
株式会社ブライダルプロデュース・ピープル)
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記者:Yuki
投稿日:2018年4月3日
コラム担当:Yuki
皆さん、こんにちは。
いつもブログを拝見頂きありがとうございます。
本日は、私たちが通ってる教会、神戸バイブルフェローシップのお知らせです。
KBFフレンズ東京
神戸バイブルフェローシップでは担任牧師であるロバートフラハティが日本全国に赴いて、
日本全国に神様の愛を伝える事を目的としたTouch JAPANという活動をしています。
その一環として、2ヶ月に1度、東京で” フレンズ東京”を開催しています。
フレンズ東京はKBFインターネットラジオでロブのメッセージを聞いて居た人達が
東京でも生のメッセージを聞けるようにロブを東京に招いた事が始まりました。
この記念すべき第1回目は銀座で行われ、本活動も今年で5年目を迎えます。
今では毎回多くの方が参加され、クリスチャン以外の方でもロブのメッセージを聞きに来られます。
このように現在では2か月に1度、フレンズ東京と題してお茶の水クリスチャンセンターでサービスを捧げています。
KBFとは
神戸バイブルフェローシップは、カジュアルな服装でどなたでも参加できるプロテスタントの教会です。みんなで現代的な賛美歌を歌い、わかりやすい日本語と簡単な英語で、聖書からイエス・キリストについて学びます。様々な国から沢山の方が毎週お越しになります。クリスチャンではない方もお気軽に。礼拝中の出入りも自由です。日曜礼拝だけでなく、フラの練習や聖書の学びの時間もありますので、そちらにもお気軽にご参加ください。私たちは、こられた方にお名前やお住いをしつこくお伺いすることや、礼拝中に皆さんの前での新規来会者紹介等は一切ございませんので安心してお越し下さい。(KBFホームページより抜粋)
フレンズ東京 開催日:偶数月の第3金曜日
場所:クリスチャンお茶の水センター
時間:19時〜21時
参加費:無料
皆さんのご参加をお待ちしています☆
礼拝後は近くのレストランで食事をし、交わりを深めています。
是非、お気軽にご参加ください♩
ロブを励まそう!
Touch JAPANの活動を行う中で、最も大変なのが霊的な戦いです。
ロブに皆さんの励ましと祈りが必要です!今は本当に辛い戦いを強いられています。
ロブの癌が再び癒され、神の栄光が現れ勝利するように皆で祈りましょう!
だから、
是非!フレンズ東京に参加して”ロブの癌が癒されるよう”直接一緒に祈ってください。
お願いします。
癒しの霊の賜物がある人がいたら、その人を連れて来てください。
Touch JAPAN
“Touch Japan”Facebookページはこちら。
記者:Yuki
祈りの歩行
日本の為に祈って歩きませんか?
沈みゆく日本経済の中で、私たちには今打ち破りの祈りが必要です。
エリコの城門を主が打ち破られたように、私たちは月に1度、国会議事堂の周りを祈りながら歩いています。
参加費等は必要ありません。
共に日本の為に祈り、実際に行動してくれる仲間が必要です。
私たちと一緒に日本の為に祈り、歩きませんか?
詳しくは下記をご覧下さい。
詳細
■参加費:無料
■日時:第二金曜日 AM10:00~11:00
■集合場所:永田町
(〒100-0014 東京都千代田区永田町2-17-10 サンハイム永田町302
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なぜやるのか
※世界終末時計(せかいしゅうまつどけい、英語: Doomsday clock)とは、核戦争などによる人類(世界[1]や地球[2]と表現されることもある)の絶滅(終末)を午前0時になぞらえ、その終末までの残り時間を「零時まであと何分」という形で象徴的に示す時計である。実際の動く時計ではなく、一般的に時計の45分から正時までの部分を切り出した絵で表される。「運命の日」の時計あるいは単に終末時計[3]ともいう。『Wikipedia』
今や中国・シンガポールにも経済力を奪われ、アジア経済の中で日本の存在感は薄れています。
また、北朝鮮問題による国際情勢の緊張感が高まり第三次世界大戦の危機に晒されています。
アメリカとソ連による冷戦時代より設置され、世界の終末へのカウントダウンを行っている※世界終末時計が残り2分30秒に更新されこれまでにない程緊張感が高まっています。
だからこそ、今日本の中心地で最も高い所から日本・世界の為に祈る必要があります。
聖書にも書かれているように最も高い所から国のトップの為に祈る必要があります。
人間の勝手な思いによる政治の結果が今の緊張を生み出し、世界が危機に瀕しています。
私たちのリーダーには人間の思いでなく、神の知恵が必要です。私ちが国会議事堂の周りを祈り歩くことで、彼らに良い知恵が与えられ日本が守られるよう霊的なプロテクションを貼る必要があります。
映画「祈りのちから」でも語られているように私たちは
”戦う相手を知らなければなりません。”
私たちの祈り歩く一歩一歩が悪を打ち砕き、日本に打ち破りの力を与えます。
日本の一番高い所からトップダウンで祈る必要があります。
だから、私たちは日本の為に祈り歩くのです。
祈りの歩行について
[embedyt] https://www.youtube.com/watch?v=8HCI60TTui0[/embedyt]エリコの城門と七人の祭司の行進
※日本バプテスト連盟 豊里キリスト教会メッセージより転載。
「エリコは、イスラエルの人々の攻撃に備えて城門を固く閉ざしたので、誰も出入りすることはできなかった。」とあります。このエリコの町の城門と高くそびえる城壁は、実は、この町の人々の心の状態を示しています。絶対に、イスラエルの攻撃に屈しまい、扉を開けることはすまいという町の人々のかたくなな固い決意を象徴しております。高くそびえた城壁、固く閉ざした門、いかにエリコの人々が神に対して心を固く閉ざして、神の民を一歩も受け入れまいとしていたかが解ります。
しかし、ヨシュアは、エリコ攻撃に先立って、エリコの町にスパイを送り込んで、町の人々の様子を探らせておりました。そして人々はイスラエルの総攻撃に戦々恐々しているという情報が入りました。内側の心が震えているからこそ、表面的にはかたくなになっていたのです。そしてこの二人のスパイは自分たちをかくまってくれた、遊女ラハブとその家族を助けると約束しました。総攻撃に時には、家の窓に真っ赤な紐を結びつけているならば、イスラエルの兵士が、彼女とその家族を守ってくれるというのです。この町で救われたのはこの遊女ラハブの家族だけでした。
3.契約の箱と七人の祭司の行進
モーセは民にこう言いました。「主があなたたちのために戦われる。あなたたちは静かにしていなさい。」(出エジプト14:14)また、主はヨシュアにこう言いました。「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。」
神の契約の箱というのは、その箱をありがたがって大事に扱うということではなく、また箱があれば戦争に勝つというようなものではありません。契約の箱を先頭にするということは、中に入っている神の御言葉に従う生活を第一にするということです。それが私たちの戦いなのです。ヨルダンを渡る時、まず神の御言葉を先行させたように、今回のエリコの戦いでも、まず、神の御言葉に従う聖なる生き方をすることが求められています。そしてこの戦いは神様の戦いですから、人間の武器や力や軍隊の大きさによるものではありません。神様を前面に押し出し、神に仕える祭司が主役です。そして兵士の武器の代わりに、祭司の吹く角笛と民のときの声が戦いの武器でした。
2節以降を読んでみましょう。「その時、主はヨシュアに言われた。『見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい。彼らが雄羊の角笛を長く吹き鳴らし、その音があなたたちの耳に達したら、民は皆、時の声をあげなさい。町の城壁は崩れ落ちるから、民は、それぞれ、その場所から突入しなさい。』」
(6:2~7)
一体この儀式のような戦い方は何を意味するのでしょうか。イスラエルの兵も、全然攻撃しないで、毎日毎日、角笛を吹いて祭司たちが回っているのですから、果たしてこの戦いに勝利できるだろうかと疑問に思ったかもしれません。一体神様は何を考えているのだろうと不思議に思ったに違いありません。でも大事なことは、神様が命じたとおりに行うということです。たとえ自分が腑に落ちなくても、主がこうしなさいと言ったらそれを忠実に実行することです。たとえ戦いの成果が見えなくても、かたくななまでに黙々と町を回ることです。
今日も私たちは、教会案内会を持って出かけて行きます。神様は私たちに「時が良くても悪くても、御言葉を宣べ伝えなさい。」と命じられました(Ⅱテモテ4:2)。蒔く人がたくさんいるから、きれいなパンフレットができたから蒔くのではなく、時が良くても悪くても、どんな状況の中でも御言葉の種を蒔き続けることです。毎月、こんなことをして一体どうなるのかと疑問が起こるような時があるかもしれません。でも、やがて主の勝利の時、エリコの町の城壁が崩れ落ちる時が来ますから、それまでまき続けるのです。
この成田、富里の町の人々の心の城門は固く、固い城壁のように高くそびえ、神がその心の中に入って行くのを拒んでいるみたいです。確かに、関東随一の大きな寺院があり、人々は福音に対して固く心を閉ざしているかもしれません。それでも、主が町を回りなさいと命じられたら、そのようにしたいものです。町を七回まわるということは、神様の救いの時が満ちるまでという意味があります。その時が満ちるまで、信じて忍耐して続けるのです。必ずその時が来ます。そうしたら一挙に攻め込んで魂を獲得するのです。私たちの戦いではなく、主の戦いなのです。
4.城壁は崩れた
契約の箱を先頭にして、角笛の祭司、そして護衛の兵士が六日間、一回づつ町を回りました。そして七日目には、七回まわって、ヨシュアの合図に従って、角笛が一斉に鳴り響きました。それから民が一斉に鬨の声をあげました。そうしましたら、あの固く高くそびえたエリコの町の城壁が突然、轟音と共に崩れてしまったのです。不思議なこと、奇跡が起こりました。そして、その崩れたところから一斉に突入して、あっという間に町は占領されてしまいました。
16節から読んでみましょう。「七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。『鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町とその中にある者は、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからである。あなたたちはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はすべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物蔵に納めよ。』角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した。彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。」
(6:16~21)
あの堅固なエリコの町を占領したのは、軍隊の力でも巧みな戦術でも強力な武器でもありません。神の大いなる力と奇跡を引き起こしたのは、神御自身です。民は神の御言葉を先頭に行進し、最後に一斉に鬨の声をあげました。わたしはこれは、私たちの祈りと賛美の声ではないかと思うのです。私たちが神に向かって声をあげる時、神が働いてくださいます。その力強い御手を持って戦って下さいます。
新約聖書で同じようなことが起こった事件が一つあります。それは、パウロとシラスが捕えられた時に、彼らは足枷をかけられて暗い奥の牢屋に入れられました。何もできませんでした。しかし、二人が牢屋でできた唯一のことは、神に賛美の歌を捧げることと祈ることでした(使徒言行録16:25)。そして二人が祈り、賛美をし始めると、突然地震が起こり、牢の土台が揺れ動いて崩れ、二人は解放されました。もちろん二人は逃げませんでした。この二人の祈りと賛美、そして堂々とした正しい行いを見て、牢屋番とその家族が救われたのは有名な話です。祈りと賛美の声、これが地震を引き起こして牢の土台を崩したように、エリコのあの城壁を崩したのも人々の鬨の声なのです。ですから皆さん、まず祈りましょう。賛美しましょう。
しかし、イスラエルの民にとって約束の地を奪い取るということは宗教行為であり、神の働きの一つなのです。これを聖戦思想といいますが、イスラム教でも、聖戦(=ジハード)として戦うという考え方が残っています。そして、戦利品は神への捧げものとして、神に返さなければならなかったのです。ですから、戦利品を自分の所有物とせずに、神に捧げるという意味でいけにえとしてすべて殺してしまわなければなりませんでした。これを「聖絶」といいます。
人を生かしておいて、彼らの習慣や偶像礼拝に倣ってしまわないように、この世に属する者をすべて滅ぼし去るという考え方です。私たちも、神に救われた者、水の中をくぐってバプテスマを受けた者は、決してもう一度、以前の肉の生活や偶像礼拝に戻ることのないようにという意味で、汚れたものをすべてを滅ぼし尽くしてしまわなければなりません。
自分の心の内から、神に喜ばれないもの、罪や悪い思い、ねたみ、偶像、悪習慣すべてを徹底的に取り除きたいものです。まことの神以外の偶像を、一つも残すことなく滅ぼし尽くせというのが、神の御言葉に従うことでした。そしてヨシュアとイスラエルの民は、そのことを実行したのです。それが「町とその中にあるものは、ことごとく滅ぼし尽くして主にささげよ」(6:17)ということの意味です。
この神の命令を守ること、これが契約の箱を先頭にして進んでゆくということです。常に御言葉に従う生き方です。そうである限り彼らは、これからの戦いにも勝利してゆくことができるのです。そして絶えず祈り、喜んで賛美を捧げつつ歩んでゆくこと、これが約束の地での神の民の歩みでした。彼らの霊的な戦いでした。私たちは、賛美と祈りを持ってエリコの町を、今月も回ろうとしています。まだ、エリコの城壁は高くそびえたっています。ちょっとやそっとでは崩れそうもありません。でもやがて、七日目の時が来て、賛美と祈りの声によって崩れ落ちる時が来ます。そのことを信じて、今日も賛美と祈りを持って出かけて行きましょう。
(岡田 久)
詳細
■参加費:無料
■日時:第二金曜日 AM10:00~11:00
■集合場所:永田町
(〒100-0014 東京都千代田区永田町2-17-10 サンハイム永田町302
株式会社ブライダルプロデュース・ピープル)
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記者:Yuki